育児休業を取る イクメンの星 ご紹介

第23回 イクメンの星 NEW

  • 伊藤 大輔(いとう だいすけ)

    30代男性 公務員 お住まいのエリア:愛知県

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    みなさん初めまして。私は2回育休(1年間と半年間)を取得して、長男・双子・末っ子の4人の子どもを育てる子沢山パパです。
    1回目の育休は双子の妊娠を機に1年間取得しました。突然ですが、双子育児ってどんなイメージですか?双子育児は私の想像を簡単に超えていくほど壮絶でした。

    ミルク・おむつ替えを毎日30回以上、そして交互に起きる双子の夜泣き対応に追われる日々が続いて、夜中もまともに寝られませんでした。 さらに、昼間もお兄ちゃんがいるため休む暇がありませんでした。疲労もピークに達した時、緊急事態が発生します。妻が「ぎっくり腰」になり、まさかの3人のワンオペ育児に突入しました。 私は長男・双子のトリプル抱っこで手首が腱鞘炎になり、「双子育児ってこんなに大変なんだ」と思うと同時に「私が仮に育休を取得していなくて妻一人で双子育児をしていたらどんなに大変だっただろう」と思いました。

    この状況をなんとかしようと『赤ちゃんの時間割』に挑戦しました。これは『ねんねトレーニング』のことで赤ちゃんの日中の生活リズムを整え、昼寝も夜寝る時も赤ちゃんが1人で寝られるようになるというものです。 そして挑戦したことにより双子が1人で夜7時に寝るようになり、さらに夜泣きもなくなったのです。また夫婦で試行錯誤しながら取り組んだので、絆が深まりました。

    少しずつ育児にも慣れてきた時に、夫婦で区役所の双子会に参加しました。そこでは双子ならではの楽しさや悩みが共有でき、「仲間っていいな」と思いました。 しかし、開催頻度が2か月に1回と少なく、もっと集まりたいと思い、夫婦で区初公認となる『双子サロン』を立ち上げました。『双子サロン』では週2、3回交流会を開催して双子仲間の輪を広げています。

    仕事復帰後は定時で退社できるように効率的に働き、職場の理解を得るために日頃から家族の話をするなど、積極的にコミュニケーションを取るようにしています。 また、会社の時差勤務制度を利用し30分早く出社・退社して、帰宅後すぐに育児を(お風呂、寝かしつけ)しています。さらに、『キャリアも諦めたくない』と思い寝かしつけ後に毎日1時間勉強して昇任試験に合格しました。

    そして4人目が生まれ半年間の育休を取得しました。この2回目の育休は1回目の育休で育児の大変や楽しさを実感したので迷わず取得しました。また育休中に妻の夢である『助産院開業』の準備の手助けができると思いました。 実際には1回目の育休で培った育児スキルを活かして、上の子ども達3人が幼稚園に行っている間、私が赤ちゃんの面倒をみて、家事もこなして、妻の夢を叶えることが出来ました。

    最近、近所や職場の方から「イクメンだね~」と言われる機会が多くなりました。しかし長男が生まれたときは『イクメン』と言われた記憶がありません。少しずつ育児や家事に関わっていくことで出来ることが増えイクメンになるのだと思います。そしてそのきっかけになるのが「育休」です。
    これから私は育休経験談や双子サロンで出会ったママ達のリアルな声を伝えて、男性が当たり前に育休を取れる社会になるように活動していきます。

    最後になりますが、仕事はこの先も長く続きますが、子育てができるのは『今』しかありません。また、仕事の代わりはいますが、パパの代わりはいません。私は合計1年半の育休を取得しましたが、この経験は何にも代えがたいものになりました。 子育ては上手くいかないことの方が多いですが、妻とああでもないこうでもないと話す時間も貴重な時間だと感じています。思い切って育休を取得して一度きりの人生を一緒に楽しみましょう!

第22回 イクメンの星

  • 伊藤 翼(いとう つばさ)

    30代男性 会社員 お住まいのエリア:愛知県

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    もっと明るく元気な日本にしていきませんか?
    男性の育児参画で日本をアップデートできます! 今この文章を読んでいる皆さんと一緒に男性の育児参画を文化にしていきたいです。

    育休を取ったことで人生が豊かになりました。
    育休は取った方が良いと断言できます。家族の笑顔が増え、自分の人間としての深みが増します。元々子供が好きだったことと、共働きである妻が「キャリアも大切にしたい」という思いがあったため2人目の長女出産に合わせて約6ヵ月のワンオペ育休を取得しました。
    理解があり、自分の選択を受け入れてくれる職場仲間に恵まれました。
    職場には、妻の妊娠がわかってすぐに育休を取得したい旨を伝えました。直属の上司はやや驚いていたようですが、部長からの「ぜひ育休をとってください」という後押しもあり、快く受け入れて頂きました。同僚も好意的で、特に育児を経験した人からは「大変だけど頑張って!」と心のこもった応援の声をもらいました。

    お薦めの育休期間は1ヵ月以上です。
    なぜならば、初めの1ヵ月は慣れるのに大変で1ヵ月以上経過後に楽しめるようになってくるからです。初めは慣れない家事、育児、生活リズムで発見、気づき、悩みの毎日。回せない家事や泣いている娘に対し「どうしよう」「なんでだろう」の繰り返しでした。1ヵ月を経過した辺りから慣れ始め生活リズムも整い、「今日はどこに散歩行こうかな」など自分なりの楽しみを日々の生活に取り入れることができました。育休期間はママと育児の大変さを共感するなら1ヵ月、育児の楽しさを体感するなら1ヵ月以上というのが私の持論です。

    育休を取るにあたり乳幼児の睡眠に特化した“IPHI乳幼児睡眠コンサルタント”の資格取得を目指して勉強を開始しました。これにより娘の寝かしつけも劇的に改善し自分の寝不足もなくなり余裕をもって育児を楽しめるようになりました。また寝かしつけで悩んでいるパパママからも相談を受けるようになり人との繋がりも増えました。
    育休復帰後、社内で“寝かしつけ講座”や“パパ向け育児学級”を行い育児の楽しさを伝えていく活動をしています。

    育児を楽しむ事を追求すると、自分の内面と向き合うことになり、その結果、新しい自分の発見に繋がります。育休を取得したことで「当たり前のこと」に感謝する気持ちが芽生え、それをきっかけに社会貢献という形で恩返しをしたいとまで思えるようになりました。子供達の笑顔があふれる日本にするためにパパの育児参画は必須です。みんなの力で日本の未来を良くしていきましょう!

第21回 イクメンの星

  • 上笹 遼(うえささ りょう)

    30代男性 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    今は2歳5ヶ月になる娘が産まれた日から、1ヶ月の育休を取りました。

    正直なところ、私は育休を取るとき、大いに悩みました。
    妊婦検診には欠かさず付き添い、「パパになる準備」は進めている中で、漠然と育休に興味はあったものの、どこか「他人事」として感じていたことを、今でも覚えています。

    その原因は、「不安」です。
    当時社会人7年目、これからのキャリアのこと、周りにまだまだ育休取得経験のある男性社員が少なかったこともあり、私は不安でいっぱいでした。

    そんな頼りない私の背中を押してくれたのは、妻と会社の上司です。
    妻の
    「生後間もない娘との生活は、生涯一度きり。不安は分かち合いながら、2人の子どもを育てよう」
    「夫婦で育児と仕事を両立し、夫婦ともキャリアを諦めないように、支え合って頑張ろう」
    という言葉で決意し、上司の
    「限られた時間の中で出す最大限の成果を評価するし、人として成長して帰ってくるのを楽しみにしている」
    という後押しで、私は育休を取ることを決めました。

    育休取得時、私は
    「妻が、娘の授乳だけに専念できること」
    「妻が、将来復職した時の家族の生活まで見通すこと」
    を念頭に身の回りのことすべてを受け持っていました。

    そこで確立した、「週末1週間作り置き」生活は今も続いていて、平日夜の家事負担が激減しています。
    (金曜の夜に1週間分、おおよそ10~12品の献立検討 → 土曜に買出し → 日曜午前中に調理というイメージです)

    更に、上司や職場のメンバーへの「仕事やキャリアと育児の本気で両立」宣言を経て、ありがたい事に理解や応援もいただき、さまざまな試行錯誤を経て、今では定時で一旦帰宅し、娘を寝かしつけてから必要に応じてリモートワークをするといった柔軟な働き方にも取り組めています。また、妻も復職後1年経たずに時短からフルタイム勤務に切り替えることができました。
    上司や職場のメンバにはただただ感謝しかありません。

    よく驚かれますが、私は、料理は苦手でしたし、どちらかというとハードワーカータイプでした。
    育休を取った1ヶ月間、そして日々の「育児と仕事の両立」を経て、娘の成長だけでなく、自分自身の成長を感じられたことが、今でもモチベーションになっています。

    私は「育児に向き合うことで、自分自身の成長にも繋がる」ということを示す、ロールモデルになりたいと思っています。
    私の姿を見て、後に続く人が増えるよう、体外的な発信にも取り組んでいて、これからも更に積極的に取り組んでくつもりです。

    いつの日か「イクメンなんて言葉もあったね」と言われるぐらい、育児と仕事を両立できるパパで溢れるよう、私は先陣を切って、これからも日々生き生きと走り続けます。ぜひ、一緒に頑張りましょう!

第20回 イクメンの星

  • 大沼 優斗(おおぬま ゆうと)

    20代男性 会社員 お住まいのエリア:愛知県

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    「イクメン」という言葉があって良かったです。
    男性が育児参加しても不思議ではない時代になりました。

    私は育休を一人目の時に約半年、二人目の時に1年4か月とりました。

    育休を長く取った理由の一つに妻の就業サポートがあります。
    妻は一人目妊娠中に泣く泣く仕事を辞めました。
    社会復帰しようにも、乳幼児がいては就職活動すら出来ません。
    しかし、私が育休を取ることで就職活動が出来ます。
    面接でも「旦那が育休取得中のため、急に休むことはありません」と言えるため、無事就職出来ました。
    「専業主婦だから育休はいらない」ではなく、育休取得で私だけでなく妻の育児と仕事の両立もサポートできます。

    育休を長く取ったもう一つの理由に「子供のそばにいたい、いてあげたい」があります。
    私には先天性下肢障害があり、幼少期に手術リハビリのため、親元を離れ、遠い病院で過ごしました。
    その時、凄く寂しかった、何故親がそばにいないのか。夕方になると、親の声が聞きたくてテレホンカードを握りしめて電話しました。

    そう、子供は「親がそばにいないこと」が寂しいのです。平日もそばにいてほしいのです。育休はそれを可能にしてくれます。
    「ベビープールに通う」
    「お弁当を作って児童館に行き一緒に体操する」
    「トイレトレーニングをして、初めてオムツなしで外出する」
    この喜び、楽しみを子供と一緒に毎日分かち合えます。
    ママ友に「ママにしか見えない」と言われた時は、私の頑張りが認められた感じがして嬉しかったです。

    私の好きな漫画「ときめきトゥナイト」に以下のセリフがあります。
    「真壁くんありがとう 涙なんていっぺんでかわいちゃったよ」
    父子家庭となった今、将来のことを考えると不安で不意に涙が出ることもあります。しかし、子供たちの笑顔や育休時の楽しかったことを思い出すと、私も同じ気持ちになります。
    「子供たちありがとう 涙なんていっぺんでかわいちゃったよ」

    これからお父さんは生まれかわり、「イクメン」よりもさらにパワーアップした「イクメンママ」として、子供たちを「無償の愛」で幸せにします。

    育児ブログもよろしくお願いします!
    https://ameblo.jp/star-of-ikumen20/

第19回 イクメンの星

  • 鎌谷 祐貴(かまたに ゆうき)

    30代男性 会社員 お住まいのエリア:京都府

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    エンジニア兼、2歳の長男と産まれたばかりの長女の父親です。長女出産を機に、“父親が果たすべき役割に気づくことができた“という事について書こうと思います。

    長女の妊娠がわかってから家族に私の育児休業検討について話すと、まさかの大反対を受け、肯定してくれる人はいませんでした。また、職場でも業務都合上、育児休業は困難な状況に陥りました。

    当初なぜ家族に反対をされるのか私は理解できませんでした。しかし、原因は“未経験の選択に対する不安”にあるとわかってきました。そこから私は考えを変えて、“育児休業を取る”ことにこだわらず、“家族の不安”を解消することを第一に考えました。

    家事育児に私に任せても大丈夫か?という不安に対しては、まだ妻が元気なうちに、土日に一度家事を全部私がやってみました。そして、妻に不足部分を指導してもらいながら、妻のやり方を覚えました。

    仕事に支障が出るのでは?という不安に対しては、いつ、どのぐらいの休むのが最適なのかを妻と話し合い、「鎌谷家育児休暇計画」を作成しました。妊娠5ヶ月をすぎる頃にはこの計画を職場で共有し、組織としてフォローができるよう調整しました。結局飛び石で合計2週間以上のお休みを頂きながらも仕事への影響を最小限にできました。

    この取り組みの結果、妻はかなり安心してくれました。おかげで、トラブルもなく長女を迎えることができました。反対していた家族からも、理解をいただくこともできました。単に“育児休業を取得するだけ“という選択より、より良い選択ができたと思います。

    この経験から私は、“家族の不安を解消すること”が、父親が達成すべきミッションなのだと強く実感しました。そして、それに伴った選択は、家族や職場を良い方向へ導くと確信しています。同じような境遇な方にもこのような前例があれば、より“家族の不安”は軽減されると思い今回の投稿に至りました。これをきっかけに少しでも男性の育児参加が当たり前になる社会になってほしいと思います。

第18回 イクメンの星

  • 寺岡 賢作(てらおか けんさく)

    20代男性 会社員 お住まいのエリア:千葉県

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    昨年10月に第2子の娘が生まれ、育休を2カ月間取得しました。
    仕事の面では職場全体で取得を後押ししてくれた為、何の躊躇もなく育休に入ることができたのですが、育休中は苦難の連続でした。家事の他に並行して娘が泣いたらあやしたり、4歳の息子との時間も大切にしなければならない。普段、私が仕事中にこれだけの苦労を感じさせないように気を使ってくれていると思うと奥さんには頭が上がりません。
    そこで、この育休だけで終わらないように育休中に日記を毎日つけました。毎日やったこと・感じたこと、写真を毎日1枚撮って記録に残すようにしたのです。この育休はあくまで今後の育児を変えるきっかけ。自分が育休中にやったことを日記に残すことによって、育休中の気持ちを忘れないように努めています。

    特に育休後に心構えとして2つ、大切にしていることがあります。1つ目は「感謝の気持ちを伝え続けること」。洗濯物が畳まれている、ご飯が用意されている、子供が健康である…。当たり前のように思えるその日常は奥さんが一生懸命創りだしてくれているものなのです。
    だからこそ「ありがとう」を伝えることもそうですし、時には家事や育児を引き受けて1人で外出させてあげることも感謝を伝える行動です。言葉だけでなく、行動によって感謝を伝え続けていきたいと思います。

    2つ目は「夫の役割は父親、妻の役割は母親である」ということ。あくまで仕事・家事・育児は家族の幸せを創っていく手段だと思っています。これらが役割にしてしまうと家事分担という括りになってしまい、自分の担当以外に関心を持たないことが多くなります。なので、私の家庭では分担を敢えて決めていません。自分の役割は父親である。そう考えると、家族の為に家事・育児にも積極的に楽しく参画できるようになりました。
    これからも奥さんと共に、子供と自分たちの幸せを築いていきたいと思います。

  • 秋山 剛(あきやま たけし)

    40代男性 個人事業主 お住まいのエリア:大阪府

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    私は40歳で22歳の息子と19歳の娘の父親です。
    高校2年生の時、付き合っていた彼女から「子供ができた」と話を聞きました。高校生で親になるという道を歩き出しました!
    2人の生活が始まり、そして、私が18歳、妻が17歳の時に長男が生まれました!
    立ち合い出産で、自分の子供が生まれる瞬間を見て、そして赤ちゃんにふれた瞬間にパパスイッチが入りました。
    それからあっという間に22年が経ち、上の子が22歳。
    1年ほど前、今まで私が生きてきて最もうれしいことがありました。
    成人した息子から「俺、父さんのこと尊敬してるで!」そう言われて、ほっとして涙が出そうになったことを忘れません。パパ22年生で気づいたことがあります。

    パパのスイッチは3つ順番に入ります。
    1つ目のパパスイッチは「自覚」です。
    自分の子供が生まれた瞬間、子供を抱いた瞬間、初めてパパと言われた瞬間。入るタイミングは様々です。私の場合は立ち合い出産で子供が誕生した瞬間でした。

    2つ目に入るパパスイッチは「責任」です。
    パパとして家族を守っていくという責任のスイッチです。
    私の場合はプロボクサーをしていてボクシングで負けて子供が5歳と3歳になっていて焦った瞬間です。3つ目に入るパパスイッチは「応援」です。 子供たちがそれぞれの道を歩き出す時、パパとしてどう人生を生きてきたか。何ができていたか。振り返ります。
    子供がパパ、パパと引っ付いてきてくれるのは小学校に入るまでです。6歳までの日曜日を全部子供と過ごしても人生の1%です!
    その貴重な時期、子供と関わる事で、ママとも支え合え、子供も自己重要感が高まり、パパ自身も成長できます。多くの男性に父親になる人生の膨らみを味わって頂きたいです!

第17回 イクメンの星

  • AS

    30代男性 掲載ニックネーム:AS 個人事業主 お住まいのエリア:東京都

    長男が生まれた時は子供が寝ている間に出勤し、子供が寝てから帰宅する毎日。
    休日は日曜日しかないのに、飲みに行く始末・・・
    当然のことながら家事や育児にはノータッチ。
    そのくせに、たまにオムツを交換しようものなら「俺は育児してるぜ!」って調子に乗っている自称「イクメン」でした。

    そんな私も次男の出産をきっかけに大きく変わりました。
    次男が生まれたことで妻の負担が増大。
    今までの不満も相まってついに爆発してしまいました。

    そこで初めて私がいかに子育てに関わっていなかったのか、妻に任せきりだったのかに気付きました。
    上手く回っていたようにみえた家庭も実は妻が我慢してくれていたからだということもよく分かりました。

    そこからがようやく私の子育てのスタートでした。
    仕事より子育て優先する生活にシフト。
    今までは意味もなく長々と仕事をしていたスタイルを止めてスパッとやめて帰宅。
    自称「イクメン」ですからまぁ色々できないことばかり。
    苦戦しながら子育てって本当に大変だなと感じる反面、日々成長していく子供たちの変化を間近で感じることができ、子育ての喜びも知ることができました。

    そんな私も悩みがありました。
    時々妻が「他のパパたちは・・・」みたいなことを話すことがありました。
    自分では一生懸命やっているつもりだったのでなんだか良い気持ちはしませんでしたが、確かに他のパパたちがどのように子育てに向き合っているのか全く知りませんでした。
    それならもっと情報を仕入れて自分の子育てに反映しようと意気込んだのも早々にパパ友がいないことに気付く・・
    では、地域のコミュニティは・・・検索しても自分の地域にはない。
    それならということで自らコミュニティを立ち上げることにしました。
    地域の子育て広場の方の支援を得ながら今は賛同してくれるパパたちを集める準備をしています!

  • 難波 圭介(なんば けいすけ)

    40代男性 掲載ニックネーム:難波圭介 会社員 お住まいのエリア:神奈川県

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    IT業界という男社会で夫婦ともに仕事をしています。こどもが3人います。
    子どもができる前までは、夫婦とも残業、休日出勤、時には夜勤までしておりました。
    妻は去年、会社を辞めて独立し、起業を目指し始めました。

    第1子が生まれて、妻が育休を取得しましたが、家にいる間はオムツ替えや寝かしつけ、お風呂や食事もなるべく参加しようとしてました。
    しかし、やはり時間的に限界があると感じておりました。
    まだ今ほど男性の育児参加が叫ばれておらず、また自分自身も専業主婦の母をみていたせいもあるのか、妻との違いをあまり考えていなかったのもあります。
    第2子の育休明けから第3子の産休までの間、一か月しかなかった時に、保育園にも入れず妻も会社での長期の有休が取れず、ということがありました。
    その時、私が夏休みと有休を合わせて2週間休みを取りました。
    育休は(一歳半を超えていた為)もう取れませんでした。
    その2週間は、専業主夫として、家事育児を全てやりました。
    長男が幼稚園だったので、その送り迎えや、お弁当作りもやりました。

    その時の経験を通して、家事育児しながら、更に仕事をするママたちの職場環境改善をしたいと思い、休み明けからは、会社の社員代表として、ワークライフバランスの社内冊子作成やセミナー開催、時短取得期限をそれまでの小1から小3まで引き上げしたりする活動をしました。
    その際に意識したことは、現場のママたちの声を聞き、改善策をみんなで考えたことです。現場の声がない対策はひとりよがりになる、システム担当としての経験と、妻との毎日の会話から学んでいたからです。

    今は平日は基本は妻が家事育児ですが、それも将来の子供達の教育資金やローンなどを考えて、所得の多いほうが長めに働く、という家庭の方針で、私が長めに働いています。
    時間労働には疑問があります、短い時間でも価値ある仕事は出来ると思いますし、そういう働くママをたくさん見てきました。
    ただ、今はそういう就労形態である以上、それはそうとして受け入れたやり方を私たちも取らざるを得ないということです。

    仕事を変えようと悩んだこともあります。しかしやはり子供の教育資金や老後の生活といったお金の理由で、私は今の会社で働き続けることを選びました。
    妻には、活き活きと働くママの姿を子供達へ見せてあげてほしいと思っています。
    妻には、夕方や夜などで、仕事や学びの場へ行きたいとなったら、なるべく私が子供達の面倒を見れるよう調整したり、在宅制度を利用して、子供達との時間をもち、子供と対話することで、この子の悩みを汲んであげる時間を持ち、21世紀を生き抜く力、考えて行動する力をつけられるように妻と共にこどもたちを育てたいと思っています。

  • 広中 秀俊(ひろなか ひでとし)

    30代男性 掲載ニックネーム:広中 秀俊 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    「育児によって自分の時間が奪われる。」ギター等の趣味が多い私にとって、育児に対するイメージはあまり良くありませんでした。
    しかし、実際に子供が産まれて時間を共にしていくと、可愛さからか「能動的」に子供に関わっていく自分に変化していきました。
    そんな中でも、仕事で疲れた休日等は育児に対して「受動的」な状態の時もあります。

    そういう「受動的」な状態を「能動的」に変換する為に、二つの工夫をしています。まず一つ目は、「言葉のチョイス」です。
    例えば子供と二人で動物園に行くときは、「今日は二人でデートに行ってくるね!」と妻に言っています。
    「デート」という言葉を使うことにより、自分へのワクワク感を増幅させ、言葉の持っている力を最大限に利用しています。

    二つ目は「育児ダイエット」です。
    30代後半になり、お腹の肉が気になりだした私は、育児とダイエットを何とかコラボできないかと考え、「育児ダイエット」を考案しました。
    子供を背中に乗せて腕立て伏せをやったり、浮かした足の上に子供を乗せ腹筋をやったりします。
    子供も私のお腹も喜び(鍛えられ)、この「育児ダイエット」のお陰で10キロの減量に成功しました。

    会社では経理部に所属しています。
    部署的に「受動的」な仕事が多いのですが、子育てに対する「能動的」な姿勢が仕事にも影響し、自社の決算書への関心を高めることを目的として、社員向けの「決算書の読み方サイト」を立ち上げることができました。
    毎週記事を更新し続け、間もなく一年くらいになりますが閲覧者数も数千人おり、社内でも影響力のある情報サイトとなっています。

    このように自分に変化を与えてもらった子供には感謝していますが、もう一つ感謝できることができました。
    今春にもう一人産まれます。
    五月出産予定ですが、経理の繁忙期の四月を避けて産まれてきてくれるあたり、どうやら最初の親孝行をしたいようです。

第16回 イクメンの星

  • RI

    30代男性 掲載ニックネーム:RI 会社員 お住まいのエリア:東京都

    毎朝4時半に起き、妻子を起こさないよう家を出る・・・長男5才と次男2才のパパの1日の始まりです。始発で通勤し、フレックスタイムを朝型でフル活用。「〆切までに終わるか?明日、子供が熱出したら休めるか?」と自問しながら16:15まで働いた後、駅までダッシュ。2時間通勤の私のデッドライン超えを保育園の閉園は待ってくれません。
    帰宅後、合流した妻が子供を入浴させる間に私が掃除。私が子供を着替えさせる間に妻が料理をし、園の出来事を聞きながら家族揃っての夕食。戦闘ごっこの悪役を楽しそうに務める妻を、皿を洗いながらみるのが食後の楽しみです。妻が寝かしつける間に入浴→洗濯→園の連絡ノートで一日が終わります。
    日本人の家事・育児時間は1日平均で男性62分、女性299分だそうですが、我が家では帰宅後の4時間を妻とハーフ・ハーフでこのようにシェアしています。

    このライフスタイルのきっかけは、長男の育休から妻が復職した直後。帰宅時間がばらつく私への「毎日計算できないのは戦力とは言わない」という妻の一言でした。戦力外通告に愕然としつつも、総合職としてのキャリアを出産で中断した妻の悔しさを正面から受け止めたいと思いました。
    とはいえ、私の勤め先はゼネコン。仕事と子育ての両立が最も遅れている業界の1つ、建設業です。当然、毎日同じ時間に帰ることへの逆風も吹く。時間の使い方や仕事の優先順位付けに工夫し、周囲へも気を配りながらの綱渡りの日々です。

    一方、最近は職場に女性が増えたこともありダイバーシティと銘打つ会が開かれ、コアメンバーとして参画するようにもなりました。後輩たちが「仕事か家庭か」の選択を迫られることなく「仕事も家庭も」を実現できる職場にすべく、育児経験を語り、将来彼らのイクボス・メンターとなるのが私の夢です。

    こんな私へのご褒美でしょうか。今夏、三児の父になります。2度目の育休を取る私…熱い夏になりそうです。

  • 佐藤 秀治(さとう しゅうじ)

    30代男性 掲載ニックネーム:しゅう 小学校教諭 お住まいのエリア:埼玉県

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    現在、1年間の育児休暇をとっています。2児の父親として2度目の育休です。
    育休をとることになったきっかけは妻に「父親も育休とれるみたいだからとってみたら?」と言われたことでした。そして、1人の子にとってたった1度しかないじっくり子どもと向き合えるチャンスなので2度目もとってみようと決意しました。 1人目の時は育児・家事に追われましたが、おむつ替え・離乳食・お風呂・寝かしつけ・掃除・洗濯・料理・片づけと少しずつ成し遂げていくことで大切さと大変さを実感できました。とくにいざ1日子どもと一緒になると何をしていいかわからないと思っていましたが、つどいの広場に行き手遊びや読み聞かせの技を習得できました。それは今でも生きていて先日、長男の保育園に行った時、子どもたちに手遊びと読み聞かせをさせてもらいました。

    2人目の今、もちろん育児・家事はやりますが、働いていた時には手が回らなかった物でいっぱいになった我が家の収納の充実、私と長男の習い事を始める心のゆとりができました。この心のゆとりにより仕事が始まってからも習い事は続けていけそうです。
    また、1人目の育児休暇の時、ワークライフバランスについて講話を聴きました。育児休暇をとった1年間で仕事にブランクができるどころか仕事の整理ができて職場復帰してから効率よく仕事を進めることができました。来年度より職場復帰してからも仕事を計画的に進め定時に終わらせ、子どもを保育園に迎えに行き、晩御飯の支度をして、子どもや妻と毎日コミュニケーションをとり、習い事も頑張っていきます。
    ただ、職場全体が定時に帰宅できる雰囲気でも仕事内容でもありません。職場全体がワークライフバランスの共通理解をし、仕事内容の改善を図れるように提案をしていきます。
    自分の人生なのでやりたいことをやってくいのないように楽しくいきたいです。1人目の育児休暇に始めた禁煙も5年目突入です!

第15回 イクメンの星

  • 芦田 崇(あしだ たかし)

    40代男性 掲載ニックネーム:あしやん 会社員 お住まいのエリア:京都府

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    第三子懐妊とほぼ同時期の育介法改正により、妻が育休中でも私の育児休業の取得が可能になり、思い切って半年間の育児休業を決心しました。

    第一子の時は、初めての育児でわからないことだらけで右往左往でしたが、親二人に子どもが一人。妊娠中からお腹の赤ちゃんに対して、いろいろと父親になる心の準備も少しずつでしたが、出来ていたように思います。また妻が出産のために入院した折は、当時はまだ珍しい立ち会い出産で、入院中もほぼ一緒に寝泊まりし、スタッフの方にずっと病院にいる変わった(熱心な?)パパだと思われていたようです。妻が職場に復帰後は、毎日保育園に送迎。通い始めた頃、保育士さんに「パパと泣く子は珍しいです」と言われていました。共に過ごす事は育児において、密接な親子関係の礎を作る貴重な時間であると、あらためて感じました。また自分自身が親として成長するためのステップでもあると感じました。

    育児休業を取得すると、収入が減り生活は厳しくなります。両親や祖母からは、「男性がそんなに長期間仕事を休んで大丈夫か。休む必要があるのか。」などと心配や反対もされました。しかし、男性の育児休業取得について、制度はあっても利用する人がいないのでは意味がないとの思いや、女性の社会進出に比べて男性の家事・育児参加が進んでいない現状を踏まえて、男性の産後休業の義務化があってこそ本当の男女共同参画ではないかとの持論もありました。

    また、職場で男性の取得は初めてで、取得することが正しいのかという自分の中での葛藤に加え、仕事の引き継ぎ、職場の理解を得るための調整の大変さもありました。しかし、仕事には自分の代わりがいても、この子たちの父親は私一人しかいないと考え、思い切って取得することにしました。

    現在は、第四子の育児のために2度目の育児休業を半年間取得後、育児短時間勤務を取得して仕事に、育児に、家事に充実した毎日を家族で満喫しています。

  • 今田 尚輝(いまだ なおき)

    40代男性 掲載ニックネーム:Naoki 公務員 お住まいのエリア:北海道

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    愛車のバイクを売って僕が購入したのは、三人乗り対応の自転車だ。前の席に息子を、後ろの席に娘を乗せて、保育園の送迎をする。敢えてなるべく車を使わないようにしている。道端に咲く花、鳥のさえずり、空の青さ、太陽の暖かさ、風の心地よさ、季節の移り変わり。この世界の素晴らしさを、肌で感じてほしい。そしてときには、夏の暑さや冬の寒さ、強い向かい風といった厳しさも肌で感じて、それに負けない強さを身につけていってほしいと思う。自転車に乗れない冬は、雪道をそりに乗せて引く。ほとんどの人が車を使っている中で、珍しがられるが、子供たちもこれを気に入っている。

    職場では、何よりも仕事を優先しなければいけない「空気」、残業をしなければいけない「空気」、休みを取ってはいけない「空気」があり、皆がその空気を読んで仕事をしていた。しかし、僕はそんな中で育児休業を取得し、復帰後も支援制度を活用し、育児と仕事との両立をさせてもらっている。

    時差出勤の利用、看護休暇の利用、残業の免除申請について、人事課と直属の上司に直接働きかけた。時差出勤・残業の免除については、自分だけが他の人より早くに職場から去ることをいぶかしむ人も予想されたことから、上司から皆に周知してもらった。また、看護休暇については突発的に仕事を休むことがあるため、サポート体制の構築について上司および周囲の同僚に働きかけた。

    さらに法律に定められている勤務地の配慮についても人事課に働きかけたが、残念ながらこれについては希望は叶わなかった。
    育児の支援制度を活用するにあたり、必ずしも自分の思惑どおりにはいかなかった。当然のことだが、やはり快く思わない人もいた。心ない言葉を投げかけられ、パワハラを受け、思わぬ異動を余儀なくされ、挫けそうになったこともあった。しかし、僕が予想しなかったのは、意外なことに、味方になってくれた人もたくさんいたということだ。同じく育児している職員を中心に、激励の言葉もたくさんいただいた。僕は決してひとりではなかったのだ。多くの人に支えられて、それを乗り越えて、今の自分がある。僕はそれを誇りに思う。

    自分が育児休暇を取得し、支援制度を活用したことで、職場に男性の育児参加についての関心が生まれた。結果的に、「仕事優先」という職場の空気に一石を投じることとなり、「仕事も大事。家庭も大事」という空気が生まれた。

    「空気」は読むものではない。創り出すものだと思う。徐々にではあるが、男性の育児参加についても理解を得られるようになってきて、他にも育児休業を取得する男性職員が現れたときは嬉しかった。微力ではあるが、社会が良い方へ向けて変わっていく力に自分がなれるのだとしたら、その力を惜しまずに発揮していきたい。小さな力でも、合わされば大きな力となり、新たな空気を創り出せるはずだ。社会はもっと、子育てに優しくなれる。

    「子育て」と言えば、男性にとっては大変なイメージが先行し、仕事への影響とか、心理的・経済的な負担とかもあって、結婚も出産も躊躇する人が少なからずいる。確かに自由な時間は減り、趣味であったバイクも、映画鑑賞も、ゴルフも、ギターも、今は楽しむ暇はないが、不思議なことに、それを不満だとは思わない。なぜならばもっと面白く、大きな喜びがそこにあるからだ。
    趣味は育児。目指すはイクメン。もっともっと多くの人に、子育ての面白さを伝えたい。そして男性の育児参加を呼び掛けていきたい。そしていつか、男性の育児参加が当たり前となる「空気」を創り、それを広げていく力になりたいと思う。

第14回 イクメンの星

  • 齊藤 良太(さいとう りょうた)

    30代男性 掲載ニックネーム:よしきぱぴー 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    息子は3歳11か月、現在妻は第2子を妊娠中です。
    私の月曜日から金曜日の育児への参加は、朝7時に起床し、朝食と、息子と妻のお弁当を作り、8時には身重の妻に代わって幼稚園へ息子を送る事がコアアクティビティです。仕事の目途がつけば、幼稚園の迎えも行くこともあります(月に2,3回程度)。

    我が家は共働きで、妻がデパート勤務で土日不在のため、休日は息子と2人で過ごすことがほとんどです。息子と一緒に電車のおもちゃをつくったり、プールにいったり、区の施設に行ったり、ごはんをつくったり、昼寝をさせたり、ママを迎えに行ったりして過ごします。
    休日に育児ストレスをためても意味がないため、会社の同僚や旧友の家に息子と2人で出かけてバーベキューやお鍋を楽しんだり、プール、スキー、テニス、映画へ連れて行ったりと自分も楽しみながら育児を実施しています。
    息子の幼稚園ネットワークでパパ会が組織されており、その活動も盛んなため、お互い父親育児の相談を酒を飲みながらしたり、別の日には子供と父親だけが集まって遊んだり、そういった環境にも助けられています。
    妻が妊娠中ということもあるため、妻のサポートとして炊事洗濯は全て私が実施しています。今後は、第2子の出産のために妻が地方へ里帰りする予定なので、平日も100%育児に従事しなくてはならない2か月となります。そのため、会社の育児サポート制度や、有給休暇を使うことなどを検討し、準備を進めています。

    私は、フルタイムで働いており、業種としてはいわゆる激務ではありますが、時間の使い方は裁量労働制を採用している会社のため、ワークライフバランスを保つことができています。

    日本の経済成長の一つのイニシアチブは女性の社会進出であることは間違いなく、それを支援するには父親も育児に参加することが必要であると考えており、自分自身も育児に積極的に関わっていきたいと思います。

第13回 イクメンの星

  • 橘 信吾(たちばな しんご)

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    2011 年5月から約1年間育児休業を取得した。本当に充実した1年だった。

    がっつり育児に専念できたのはもちろんのこと、苦手な料理でもできるようになった。
    育休期間をブラッシュアップ期間と捉え、沢山のセミナーに参加し、自分のスキルアップにつなげた。育休期間に得た知識を、これからの仕事に活かして いきたい。
    育休期間中には、沢山のパパ友をつくることができた。息子のおかげで、地域へのプレミアムチケットをゲットし、アナザーワールドに誘ってもらった。これまで、人脈もコネもない私が、小さいながらも育休について考える自主イベントを開催できるようになった。
    そして、一番の収穫は、息子と 1 年間ずっと一緒にいれたこと。日々の成長を毎日間近で感じることができ、本当に幸せな期間だった。息子のとびっきりの笑顔が何よりもご褒美。大変な事もあったが、楽しい毎日だった。
    この育休を通じて、いろいろ学ぶことができ、人脈も増え、人間的にも成長した気がする。
    MBA の一番の価値は、人脈を得ることだと聞いたことがある。今回の育休は、自分としては、MBA 取得と同じくらい、いや、それ以上の価値があるのではないかと思う。
    『男性の育児休業が当たり前、男性も育児することが当たり前』。そんな世の中になるように、これから頑張って行きたいと思う。まずは、『男性の育児休業』がひとつの選択肢になって欲しい。
    育児休業という貴重な経験をさせてくれた、会社の仲間、息子、奥さんに改めて感謝したい。

    職場には4月に復帰し、5月末までは 9:30~17:30 の時短勤務で、保育園への送りと夕飯作りを担当した。
    6月からフルタイム勤務になったが、会社がサマータイムを導入しているため、勤務は 8:30~17:00 で、保育園への迎えと週末のごはん作りを担当している。息子の緊急時の第一連絡先として登録し、病気の時には妻と交代で対応している。
    平日は、ますます仕事が、忙しくなる中、生産性を上げ、仕事と育児の両立ができるよう、妻と協力し、奮闘中!効率的に業務を行い、定時で帰れるように邁進中。
    休日は、各種の子育てイベントに参加したり、妻だけの時間を作れるように、息子と二人でお出かけしたりしている。

    育児だけに専念できた育休期間とは状況は大きく異なり、仕事と育児の両立に日々悩みながらも奮闘しているが、周りの頑張っているワーキングマザーには、敬服するばかり。
    フルタイム勤務に戻ってからは、仕事が優先になりがちであるが、お迎えに行った際に、歩けるようになり満面の笑みで近づいてくる息子を見ると疲れが吹っ飛ぶ。息子と共に、パパ 2 年生として頑張って行きたい。
    仕事も育児も頑張るワーキングファーザーとして、次のパパたちのロールモデルになっていきたいと思う。

第12回 イクメンの星

  • 中山 敦司(なかやま あつし)

    40代男性 掲載ニックネーム:あつし@育児は楽し! 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    子供が幼稚園児になる前の一年間、仕事(会社勤めのサラリーマンです)を休んで育児に専念しました。

    子供がまだ、おなかにいる時から、会社での残業をしないように仕事をして、誰よりも早く出勤して、そして、誰よりも早く、退社するということを試みました。1年間での残業ゼロはさすがに無理でしたが。。。(笑)。

    子供が産まれてからは、朝の出勤前には、妻よりも早く起床して、毎日、自分の弁当(内容は簡単なものですが)は、自分で作り、余裕がある時は、妻の朝食も準備して、家をでました。冬の時期は、妻が起きやすいように、部屋を暖めておくこともしました。妻の負担を少しでも軽減するためにやってみました。

    子供が、はいはいをできるようになるまで、週末は、妻と私で、交替でずっと子供を抱っこしながら話しかけながら過ごしました日も多々ありました。また、週末には、私が早起きをして、妻が寝ている間に子供のおむつを替えて、こそ~っと子供を連れて、早朝の散歩にでかけることも、少なからずやりました。これは、妻が起きた時に1人で、ゆっくりとしてもらうためです。

    深夜の授乳、夜泣きにもできるかぎり対応しました。私自身、子供のぐずりに反応してしまって、妻と一緒に起きていた感じです。その時は、ミルク作ったり、深夜のドライブに出たりと、今思い出すと大変だったけど、いい思い出です。

    そして、私の願望であった一年間の休暇を、子供が2歳になった時に、思い切って取りました。
    休暇中には、私と子供、二人で公園に行き、平日ですから、ママさん達しかいませんが、そのママさん達と会話したり、プレ幼稚園(未就園児クラス)には、ママさんだけの中へ、唯一のパパとして子供と一緒に通いました。私がプレ幼稚園へ行ってる日は、妻は自由日として、子供とその時の家事の対応はすべて私担当。それを、半年以上続けました。普段でも家事は、やっていました。が、妻に言わせれば、もっとやって欲しかったといわれてますが。。。(笑)。
    休暇中は、妻のママ友さん達の会話にも積極的に入っていって、情報交換したり、相手の子供と遊んだり、とても楽しい時間を過ごしました。

    子供が幼稚園に入るころに、休暇も終わり仕事復帰。そこでも、一応、子供のイベント優先で、できる限り平日でもイベントへ参加。園ではママさん達が中心となり、園のサポート活動をしてましたが、そこへ、例外としてパパとして幼稚園イベントに協力。ちなみに、園は数百名を超える園児がいるので、その親御さんの中で、男性としては唯一、私だけそのサポート活動への参加を認めてもらいました。うれしかったです。
    そこまでいくには、いろいろと活動し、ママさん達のサポートをして、ママさん達とのコミュニケーションもとり、やっと認められた感じでした。2年がかりでしたけどね(笑)。やっぱり、いろんな子育て、育児の現場で、ママ、パパが協力してやっているという姿を子供たちに見せるのは大切だと感じました。

    まだまだ、いろいろとやってきましたが、子供も4月から小学生になります。たくさんの思い出を家族で作ってきたと思っています。育児を通じて、子育てを通じて、いろんなことを親として学んだ年月でもありました。毎日が、子供の成長とともにあった気がしています。
    これからも、育児、子育てを楽しんでいきたいと思います。

第11回 イクメンの星

  • 渡辺 徹(わたなべ とおる)

    30代男性 掲載ニックネーム:流れ星 公務員 お住まいのエリア:東京都

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    三才半と一才の娘の父親です。

    長女で三か月育児休業を取得し、現在は次女が一才になるのに併せて妻と入れ替わり、半年間の育児休業中です。

    私たち夫婦は共働き。ともに自分たちの仕事に誇りと生きがいを感じています。

    子どもができるまでの自分は、子どもが得意とは言えず、正直電車の中で騒いでいる子どもを見ると苦々しい気持ちでいっぱいでしたし、親戚の子どもですら、口では「かわいいねえ」と言いながら、内心はよその子との違いもたいしてわからず、子育て大変だなあとか思っていたくらいでした。

    そんな自分ですが、基本的に夫婦は常にフィフティフィフティであるべきだと思っています。権利も義務も対等。
    何事もできるほうがやればいいし、○○してあげるではいい結果は産まれない。
    育児においても同じように考えました。

    子どもを産むことだけと母乳をあげることだけは自分には出来ない。
    でもあとはすべて男性にもできるはずだ。そう思いました。

    とはいえ、小さいうちは、精神的支柱はどうしても母親になりがち。
    私は自分自身で母親にはなれないと割り切ってやっています。
    料理も一人暮らし経験が長くないこともあって、得意とは言えない。
    それでも毎日の育児でそんなことは言ってられません。
    凝った料理は作れないけれど、できるだけ栄養バランスを考えて、子どもたちが喜ぶような味や食感を大切にしました。

    キャラ弁はまだ自分には、相当ハードルが高いですが、小さい子どもが食べやすい野菜をすり潰した肉団子風ならできる・・・みたいな。
    「パパでもいい」が「パパがいい」に少しでも変わってくれれば良いなと思ってます。

    子どもたちにもできるだけたくさんの経験をさせてあげたいと思っています。
    上の娘は、下の娘が産まれるまでは保育園に通わせていましたが、今は自主保育サークルに参加しています。

    ときには親と一緒に。ときには子どもたちだけで、泥んこになりながら野山を駆け回ったり、四季色とりどりの草花で首飾りを作ったり。
    一日中くたくたになるまで遊んでいます。
    パパ1人にママさん30人とかの中に入って、お祭りやイベント企画を考えたり、ママトークに参加するのも最初はずいぶん気おくれしましたが、子育てする同じ仲間。仲良くなれないはずはない、先に自分が垣根を取らなくてはと考え、話かけることに。今ではずいぶんたくさんのママさんと知り合うことができました。

    もちろんサークルがないときは、家で子どもと絵本や積み木でいくらも遊びますが、できるだけ子どもがのびのびと力を発揮できる場面を与えてあげたい。
    泣いてばかりいた娘がいつのまにか、山で盛大に転んでも擦り傷をさすりながらも自分で起き上がってまた前へ進もうとする姿は大変たのもしくあります。

    男性が子育てに積極的に参加するようになり、メディア等でイクメンが取り上げられる機会も増えてきました。

    組織のリーダーやトップが育児休業を取得することもしばしば取り上げられます。
    そのこと自体は組織での子育てに対する理解や育児参加への取り組みが加速することにも繋がるので、望ましいと思います。
    しかし本当に望まれることは、男性の育児休業が当たり前になり、恒常的に男性が育児に参加できるよう組織全体の意識が変わることではないでしょうか。

    一週間の育児休業が終わったら、翌日から子どもの顔も見られない終電帰りや、妻任せの育児になるのはあまりに悲しいことと思います。

    生涯イクメン宣言。これが私の目標です。

    ↓よろしければ,ブログもご覧ください。
    http://ameblo.jp/deza1979/

第10回 イクメンの星

  • 天宮 賢也(あまみや たかなり)

    30代男性 掲載ニックネーム:天宮 たかなり 工業高校勤務 お住まいのエリア:群馬県

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    3姉妹(6・5・3歳)の父です。長女が生まれ6年半、専業主夫です。
    妻が産休から仕事復帰をした当初は、赤ちゃんと二人きりで昼間どう過ごしたら良いのか不安でしたが、不安がっている間はなく、妻が母乳を飲ませる以外のこと、炊事、洗濯、掃除、買い物、育児を100%行いました。

    育児本を熟読実践し、離乳食は調味料や添加物に気をつけました。
    天気のよい日は長女をベビーカー、次女をおんぶするスタイルで周りの視線が気になりましたが、今しか出来ない育児経験に幸せを感じました。 長女、次女と幼稚園に入園してからは、送迎をし、園の行事には全て参加しました。
    三女をおんぶしながらPTA会長となり、我が子は保育時間中に僕を見つけるととてもうれしそうにニヤニヤしていました。
    僕は子どもたち以上にうれしくてラッキーだと感じました。

    育児経験を形に残したいと思い、妻の協力のもと幼稚園の教員免許を所得しました。 料理にも目覚め、お菓子作りは趣味になりました。出来栄えはママ友にも大好評です。 また子どもと一緒に料理をすると感性や表情、新たな発見ができて最高です。

    今年の3月まで福島県に住んでいました、震災でマンションは全壊になりました。
    2日間家族が離れ離れになってしまい、無事再会出来た時には家族の絆を強く深く感じました。
    4月からは群馬県に移住して新たな生活を始めましたが、子どもたちが不安を感じないよう、がれきの中から子どもたちの工作やおもちゃを探して運びました。

    移住と避難が同時でしたが、僕も4月からは兼業主夫となりました。
    それでも子どもが大好きな僕は幼児を対象に、工作・科学実験教室をボランティアで行っています。
    長女は小学校1年生となり、今度は小学校の絵本ボランティアの読み聞かせに参加したり、二人の子どもが新たに通う幼稚園にいって実験教室を開いています。
    これからも子どもたちが何歳になっても育児をするお父さんとして子どもたちから離れません!

  • KM

    40代男性 掲載ニックネーム:KM 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    出産後2ヶ月がたった時、妻が産後うつを発病してしまい、生活は一転しました。
    もともと病気を持っていた様ですが、今回は、重症だと診断されました。

    最初、出産した病院の精神科に行ったのですが、「産婦人科や小児科との連携は一切しません」と 冷たくあしらわれ、急遽、他の病院を4箇所くらい探し回りました。
    見つけた病院では産後うつという状況を考慮してくれ、母乳に影響のない薬を選んでくれたり、 婦人科の先生と連携して処方してくれたりと、探せばあるものです。この病院には感謝してます。

    また、子供の方は、母親が育児できなくなってしまったのですから、急遽保育園を探しました。
    残念ながら、区の認可保育園は全滅で、しかも「本来、保育園は病気の為でなく、就業の為です」と わざわざ釘をさされるなど、役所の担当者は、大変辛い対応でした。
    結局、認可外の私立の小さな保育園にお世話になり、1年半経った今でも、同じ園に通っています。

    こんな状況なので、ある意味、育児休業を取得せざるを得ず、4ヶ月ほど利用しました。
    ただ、計画的に取得したわけでは無い為、当座の生活費とか、税金や保険料など、予定外の現金出費が発生し、妻の入院・治療費とあわせて、かなり厳しく、預貯金を 全て放出してしまった感じです。

    今でも、妻は、常時伏臥状態で、外出もままならず、育児時間も制限されるなど、重篤な状態です。
    また、祖父母のサポートも、ほとんど受けられないため、民間のシッターサービスなどの支援 を受けながら、育児時間短縮勤務を利用して、私一人で、育児と介護と仕事をこなしています。
    会社からは、「男が、長期の育休や時短など使うのは、初めてだ」と嫌味をいわれますが、 まあ、だいぶ吹っ切れてきて、開き直って活用しています!

    なかなか同じ様な境遇の方と知り合える機会もないのですが、何となく、投稿してみました。
    これからも、がんばって生きましょう!

第9回 イクメンの星

  • 福井 聡

    30代男性 掲載ニックネーム:福井 聡 会社員 お住まいのエリア:神奈川県

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    「私、働きたいんだけど・・・」

    2010年5月、妊娠が発覚した際の、妻のその一言がすべての始まりでした。
    当時、妻は専業主婦で、私が働いていたのですが、妻は教員になりたいという夢を持っていました。

    その頃はまだ教員試験受験前だったので、「もし試験に受かったら僕が育児休業を取って子供を育てるよ!」
    と半ば軽い気持ちで妻に伝えました。

    半年後、妻は身重の状態ながら猛勉強で試験に合格。
    2010年12月に無事元気な女の子が産まれ、妻が就職する2011年4月から、私が育児休職をとって子供を育てることになりました。

    いざ、一人で家事・育児をやってみると大変なことだらけ。
    掃除・洗濯をしながら子供のミルクやおむつ替え、散歩や着替えなど、色々やるとあっという間に夕方。
    そこから大人のご飯を作り、子供をお風呂に入れ、寝かしつけ。
    夜は夜で泣いて起こされ、ミルクをあげて・・・。
    家事・育児は24時間対応であることを実感しました。

    今まで「専業主婦なんて暇なんじゃん」とバカにしていた自分がいましたが、いざ自分でやってみると仕事よりも大変。 仕事はやった分だけ怒られたり褒められたり、色々な人に評価をしてもらえますが、主夫業は誰に評価されるわけでもありません。
    これまできっちりと家事・育児をこなしていた妻だけでなく、世の中の主婦を尊敬するようになり見方が変わりました。

    育児休職に入って3カ月が経ちましたが、徐々に育児には慣れてきて、今では妻よりも私の方に子供がなついています。

    子供と24時間一緒にいる日なんて、育児休職が終わって職場に復帰すると、もう無いんだろうなあと考えながら、この一瞬一瞬を大切にして、職場復帰予定の2011年12月までを過ごしていきたいと思います。

第8回 イクメンの星

  • 三宅 拓

    30代男性 掲載ニックネーム:Tonsuke109 会社員 お住まいのエリア:埼玉県

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    結婚当初から妻の体調が悪く、家事が出来ない日がある。
    時には、外出さえ出来ない。

    なので、妻の体調が悪ければ子供の世話や家事は、全て私がやっている。
    参観日や学校の役員は私以外、ほとんどお母さんばかり。
    でも、子供たちに寂しい思いをさせない様に頑張っているつもり。

    朝は、妻が起きられないので私が子供達に朝ごはんを食べさせ、子供達の準備をして小学校と保育園に送り、そのまま会社へ。
    仕事が終わると家に帰って夕食の準備をしながら小学生の長男の宿題を見る。その後、入浴、寝かしつけ。
    それから掃除・洗濯・片付けなどして寝る。

    こんな毎日だけど、やってみれば家事や子育ては意外と楽しい。
    妻や子供も喜んでくれる。
    学校の役員も大変だけど、同じ親同士で横の繋がりも広がる。

    子育てが始まって、今年で8年目。
    しんどい時もあるけど、それだけじゃないから今までやってこれた。
    子供達の笑顔は、何にも代えられない。
    妻の体調も、ゆっくりだけど少しづつ良くなっているので、二人で一緒に子供達の行事に参加できる日も近いと思う。

    不謹慎だけど妻が病気で良かったと今は、そう思っている。
    普通の妻ならこんなにも家事や育児に参加することは、なかったかもしれない。 子供達とこんな風に向き合うことも、なかったかもしれない。
    家事や育児の大変さを知らないままで、居ただろう。
    子育てに参加していることで、自分自身がすごく成長できた。
    これからも日々、学んでいきたい。
    大切な妻と大切な3人の子供達の為に。

第7回 イクメンの星

  • 丸山 和也

    20代男性 掲載ニックネーム:マルカズ 運送業 お住まいのエリア:東京都

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    最近、3人目が産まれ、初の育休も経験しました。

    2人目が通っている幼稚園では、有志の団体「わんぱく親父の会」というのがあり、積極的に育児に参加したり、父親ならではの発想で、子供達や日頃、育児をしている妻達を楽しませる企画を毎月行っています。

    2ヶ月に1回は、「親父の会の妻の会」と称して、仕事から早く帰り、妻と育児を交代して、妻達だけの飲み会を企画したりして、楽しく育児をしています。

    自分の子供以外にも、様々な子供達や父親達と向き合うことによって、更なる成長が出来そうです。

    ちなみに、現在、第22代わんぱく親父の会の会長を務めています。

第6回 イクメンの星

  • 越智 聡

    20代男性 掲載ニックネーム:越智 聡 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    4歳と1歳の男の子のパパです。

    長男が産まれた時は、深夜残業当たり前で平日は朝しか子供と会える時間がありませんでした。
    自分の出来る範囲で家事はやっていたものの、夫婦共働きな事もあり2人目が産まれてからは奥さんにかかる家事・育児の負担がより大きくなってしまいました。

    このままではいけないと思い、2ヶ月間の育休を取得し、その期間に自分と家族にとって何が一番大切なのか、奥さんと話し合い、そして深く考えました。

    結果、半年前から育児時短勤務を取得する事にしました。今では、保育園の送り迎え~夕食~お風呂~寝かし付けと、あらゆる育児を奥さんと一緒に出来るようになりました。

    料理も覚え、今ではパパが作る炒飯、焼そばは子供達の大好物になりました。

    育児を通して、仕事をしているだけでは決して身に付かない経験をし、日々成長している事を感じます。

    このまま、子供達と奥さんと一緒に毎日楽しく成長していきたいと思います。

第5回 イクメンの星

  • 林 靖雄

    30代男性 掲載ニックネーム:やっちん 会社員 お住まいのエリア:愛知県

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    結婚してから10数年。訳有って離婚。

    子供2人、12歳♂と7歳♂を引き取る。

    普通のサラリーマンの為、当然仕事も普通に有り。時間の融通利かず。

    そんな男が、突然家事・育児をすることになり四苦八苦。(現在進行中)

    今まで大して家事も育児もしてこなかったもんだから、世のお母様方の大変さを身にしみて感じているところ。

    毎日、仕事を終えてから下の子を迎えに行き夕飯。一緒に宿題をし、風呂に入り就寝。その後、片付け・洗濯・次の日のご飯の準備と大忙し。

    その為か、やること優先になってしまい子供の相手が出来ず、現在上の子との関係が悪化中。

    学校からは何度も呼び出しをされる始末。子育ては難しいっていうのを身にしみて感じております。。。

    ただ、学校の先生やみんなに非常に迷惑をかけている中、大変恐縮ですが子供のおかげで、加速度的に自分が成長しているのを実感しております。

    それでも子供との良い関係が出来ず、頭を悩ませているのが現状です。

    問題は自分にとって必要だから起きるもの。

    また、その問題が大きければ大きいほどクリアした後の喜び・成長は大きい。

    子供もこれを乗り越えれば大きく成長するはず。しっかりと導いてあげたい。

    母親がいない分、いる子以上に愛情を持って接していこうと思う。

    大好きな子供たちのために

  • 堀川 佐渡

    30代男性 掲載ニックネーム:堀川佐渡 会社員 お住まいのエリア:東京都

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    長男の時の「やってるつもりのいいとこ取り育児」への反省、それに純粋な好奇心から、次男の時に共働きの妻とバトンタッチして育休を取得。生後3ヶ月のベビーを連れての「完全主夫」生活を真冬の1月から3ヶ月半送った。
    会社ママ友後輩とのランチや毎日2時間以上のベビーカーでの散歩、ママ学級へのパパとしての単身参加、公園でのビール♪など育休をトコトン楽しむと同時に、自分の人生を考え、家族との絆を再認識するなど「宝物のような時間」を過ごせた。

    この育休体験を「その時だけの免罪符」にしてはいけないと会社でのキャリアを替え、それまでの営業職からワークライフバランス推進部門へ自ら希望して異動。復帰後から今も次男の保育園への送迎および夕食、風呂入れ、寝かし付けを欠かさない生活にチェンジし、日々生産性を高め仕事と家庭の両立を模索しながら続けている。

    最近、「企業における男性育休取得の成功例」としてメディアや講演会等で話させてもらうことも多くなってきた。自分の経験を伝えることで、男性が育児に参画しやすい社会を実現する手助けができればこれ以上の喜びはない。しかしながらそのためにも、ひとりの父親として子育てを妻とともに泣き笑いしながら地道に楽しんでいきたい。

    (ちなみに人生におけるかけがえのないパートナーである妻に対しては、日々感謝しながらも元来の口べたな性格のためコトバで伝え切れていないことを反省する毎日。しかしながら少なくとも誕生日、クリスマス、ホワイトデーのプレゼントは欠かさないようにしている。)

第4回 イクメンの星

  • 新田龍

    30代男性 掲載ニックネーム:新田龍 キャリア教育プロデューサー お住まいのエリア:東京都

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    私が「ベンチャー企業でハードワーク」のサラリーマンを辞めて、独立することを選んだ大きな理由は「妻のキャリアを応援して、育児もしたい!」という強い思いでした。

    子供は欲しかったのですが、共働きでお互いハードワーク。妻は仕事で実績を残していて、出産と育児でキャリアを中断させてしまうのは不本意だし、世の中にとっても損失だと考えたのです。

    そこで、私自身が独立して時間の自由をつくり、家事、育児にも関わりながら妻のキャリアをサポートすることを決意。2005年に独立し、3年後女児に恵まれました。

    現在は、朝8時~10時、そして夜18時~21時は「家事と育児の時間」として、再優先でブロックしてから仕事の予定を入れています。託児所の送り迎えや夕食の準備なども妻と分担。仕事にまわす絶対的な時間は減りましたが、その前提で予定を組むことでかえって効率的に時間を使えていますし、「限られた時間を大事に使おう」という意識になりますね。

    ここまで育児に関わらなければ、得られなかったことは本当に多いです。

    「昨日までできなかったことが、今日できるようになった」と成長に気づける喜び。

    「自分たちの態度や口グセを真似している!」と気づいたときの反省。

    「○○ってなに?」「○○するのはなぜ?」と聞かれ、説明するときの自身の学び…

    常に自分自身も学ばされ、成長していることを強く感じます。そして、これまで自分自身を育ててくれた家族や、周囲のあらゆるものにも深く感謝したい気持ちになります。

    どれだけ本を読んだり、体験談を見聞きしたりしても、実体験に及ぶものはありません。

    ぜひ育児の素晴らしさを多くの人に体感頂き、子育てしやすい社会にしていきたいですね。

第3回 イクメンの星

  • 若山 定之

    40代男性 掲載ニックネーム:若山定之 お住まいのエリア:東京都

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    2007年秋、子供が1歳になり妻が復職。夫婦ともにサービス関係の仕事に従事しており、休日・出社の時間等が不規則というなかで、育児・家事全般について夫婦で分業する生活がスタートしました。

    仕事柄、家を空けることも多い妻に代わって食事の支度をすることもしばしば…。簡単かつ子供が喜んで食べてくれる離乳食づくり、仕事前後の送り迎え、就寝前の絵本読みなど、大変なことも多かった(現在も継続中)けれど、私の両親・妻のお母さんの協力もあり、保育園に入れない状況を何とか乗り切ってきました。

    育児をするなかで痛感したことが、これまで自由に使えていた時間が大きく制約されるということ。入社以来、飲み会の誘いを断ることは稀でしたが、妻の復職後は参加機会も激減。今考えると、私の勤務先にも女性従業員が数多く働いており、育児関連諸制度の利用者も数多くいますが、「育児の主体的な担い手のみなさんが、当たり前のように開催される日本的な夜の会合をどのような想いで見ていたのかな?」などと考えると複雑な心境になります。今も多少後ろ髪を引かれますが、スケジュールが会わないときは仕方がないと割り切り、できるだけ早く子供を迎えに行くことができるようにと頑張る毎日です。

    こんな生活の副産物として、時間の使い方が上手くなりました。もともと計画的に時間を使うことが苦手でしたが、子供の就寝後に読書や晩酌の時間を確保、社会人大学院通学時は、早朝に起床し、洗濯機を回しながら課題に取り組むなどの進歩がみられました。

    子供に寂しい想いをさせてしまうときもありますが、父親として関われるときはしっかりと関わりながら、子供との時間が一般的なお母さんよりも少なく、寂しく感じながらも前向きに仕事に取り組んでいる妻をサポートし、もちろん自身の仕事も子育てを理由におろそかになることがないよう、子供とともに成長できれば良いな~と考えています。

  • 星野 就一

    40代男性 掲載ニックネーム:星野就一 お住まいのエリア:神奈川県

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    2007年10月、双子の男の子が誕生した。就太は、生まれる前に肺に便が入り、自発呼吸ができず、即NICUに入った。

    生まれたときは2000g。優太は、2200gで、元気でよかった。

    就太に母乳を届けるために、1か月間、朝と夕方に病院へ通った。子どもの命のためと思うとなんでもできた。

    このときから、仕事より子どもが大切だと思い、収入は減るが週3日の勤務とした。

    子どもの成長に合わせて、働くスタイルを自分で選んでいこうと決心した。

    二人の息子たちは、スクスク育っていった。お父さんとしての喜びは、初の寝返りが、朝起きたときに優太がゴロンってできたとき。そして、1歳1か月たったときに、夕飯の後に就太が、パッと立ち上がり、家族全員の歓声があがった。優太も負けじと立ち上がった。このときの一瞬は、かけがえない喜びだった。写真の連続撮影の嵐!なかなかお父さんとしては味わえない。

    1歳半で保育園に預けることができたが、初めは大泣きする子どもたちを背にして仕事へ行くことが苦しかった。しかし、もうすぐ3歳になる息子たちは、保育園という社会に出てなんでも吸収していることがうれしい。

    お父さんは、朝食の準備と、保育園の送り迎いが日課である。子供たちへの食事、しつけ、ぐずったときの対処に頭を悩ましている毎日が続いているが、やっぱり妻が私の先生である。

第2回 イクメンの星

  • 野村 亮太

    20代男性 掲載ニックネーム:たまパパ お住まいのエリア:神奈川県

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    昨年の4月に妊娠が発覚し、上司に私の育休について相談したところ、お祝いの言葉とともに快諾をもらいました。ただ、それから休みに入るまでの1年3カ月間、「育休をとる必要があるのか」について何度も悩み、戸惑いました。

    私の育休について、多くの方は応援してくれましたが、反発の声もありました。意外だったのは、反発の声は普段から親身になってくれる人からが多いこと。その分、心にも重く響きました。そのひとつ。「これからがキャリアの正念場。この時期のブランクは、今後に影響するだろうし、育休は本当に家族のためになるのか?」

    この言葉は、その後何度も反芻することになります。実際、育休開始に近づくほど仕事が楽しくなり、休みたくない気持ちが湧きあがってしまい、気持ちの整理に苦労しました。

    しかし、これは贅沢な悩み。私には休まない選択もあるのですから。女性は、出産時に必ず仕事を休まなければならない。妻の妊娠時、私はお腹が大きくなるのを見て喜ぶばかりで、そんな苦しみについて考えもしなかった。実際、彼女は悩んでいたのに。妻の苦しみは私も受け入れなければ、と覚悟を決めました。

    そして迎えた育休。妻は職場復帰したため、私と娘、二人っきり。今までの生活の率直な感想は「育児は疲れるけど、こんなにも楽しいのか!」。

    育児は予定通り進まないことばかりで、心身の消耗は予想以上。しかし、これを支えるのは、成長という心躍る発見です。ただ、この感動は心身に余裕があるから感じられるもの。余裕がないと、育児は非常に辛いものであり、急速に追い込まれることも分かりました。妻に助けられる度に、感謝と無理解だった反省、周囲のサポートの重要性を感じます。

    すでに多くの発見に恵まれ、育休は仕事を休む価値のあるものだと確信しています。男の育休がもっと広がり、経験が社会で共有されることを切に願います。私は残りの4か月、頑張ります!

第1回 イクメンの星

  • 五十嵐 豊

    30代男性 掲載ニックネーム:五十嵐豊 お住まいのエリア:北海道

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    第1子の誕生を機に、自営業の妻に代わって子育てに手を挙げました。社内初となる育児休業は取得も大変、しかも7ヶ月の育休が終わる頃には戻る部署が無くなってしまい、仕方なく専業主夫へ。

    初めは孤独な子育て、密室育児だったけれど、次第に共感してくれる人たちが増え、子どもももうひとり増え、子育て広場や地域の子育て情報をまとめる組織の立ち上げ、講演会の企画、新聞でのイクメンコラムの連載、ブログでの情報発信、今年は地域のパパスイッチ事業など、地域の子育て環境の向上に取り組んでいます。

    僕の子育ての力になってくれた多くのママ友、地域の人たち、行政の人たち。自分自身が助けてもらえたように、今度はこれから子育てするみんなを助けたい。子育ては仲間がいるともっと楽しい!

    子育てに必要なことは、家族へのいっぱいの愛情、そして共感するチカラ。家族といっぱい一緒に過ごせる今の時間を大切に、子どもを育てることは自分を育てること…それを実感しながら日々子育てに向かい合っています。

    兼業主夫田舎暮らし@北海道
    http://tokachi.cocolog-nifty.com/blog/

  • 北橋 惇

    20代男性 掲載ニックネーム:こーめ お住まいのエリア:大阪府

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    わたしは障害者で、高齢者介護施設の経理事務をしております。家庭は共働きで、もちろん、妻も働かなければやっていけない経済状況です。

    妻も41になり、「女性として生まれたからには、子どもを産みたい」との希望で、わたし自身も子ども好きであることもあり、一大決心をして子どもを作りました。

    無事、男児が産まれたのですが、育児も、経済状況も大変であり、「どうにもならない」と思っていたところ、職場の所長より、「最低限の出勤だけでいい、育休を取りなさい」との言葉を頂きました。

    この言葉は本当にありがたく、それ以降、わたしは子どもの夜泣きにも、昼夜逆転生活を送ることができ、毎日毎日、息子の笑顔を作るために、息子と向き合うことが出来ています。

    息子の可愛い笑顔が見れ、男性が育児をすること、認められることの大きさ、それによる家庭の幸せを、今、心から実感しております。

    共働きが多い時代、この不況の折り、夫婦において夫の方が給料が低くても、男性の育児休暇というものは、なかなかまだ認知、理解されていないものです。

    けれども、新しい社会作りの中で、さまざまな形が、今後生まれて来てもよいのではないかと思っています。

    育児をする幸せ。

    男性としてそれを感じられることに、今、心からの喜びを感じています。

  • 小谷 雅彦

    30代男性 掲載ニックネーム:まさやん お住まいのエリア:岡山県

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    子供が生まれたころはとても忙しく毎日仕事で午前様という日々を送っていました。

    子供が寝た後で帰宅。子供が起きる前に出社という生活だったので、子供達が自分の手作りの遊具で遊ぶ姿を思い浮かべながら、砂場、ダンボールの滑り台、ダンボールのお家を作ったり、週末には子供達と一緒に秘密基地やアスレチックジムなどを作りました。

    (ブログでも紹介しています。http://96550625.at.webry.info/

    最近は父親の子育てサークル「チーム・パパざかり」を結成したり、父と子で思いっきり遊ぶ講座「ちちとコくらぶ」の講師をし、自分だけでなく周囲のお父さんも巻きこんでイクメンになることを目標に子育て奮闘中です。

  • 西村 貴志

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    2人目の妊娠時、妻が切迫早産で3ヶ月強の入院になりました。

    そのころ長男は幼稚園に通っていたため、長男の幼稚園生活を支えるところから育児奮闘?が始まりました。毎日のお弁当作り、幼稚園の送迎、園に持っていくものの準備など、いろんなことを妻にまかせっきりだったんだと痛感しました。

    次男が生まれたのち、1ヶ月間の『育児休暇』を取得しました。長期の入院生活を終えたばかりの妻には、生まれたばかりの赤ちゃんの育児は大変な負担をかけることになると思い、少しでもその負担を軽減したかったので、育児休暇を取ることを決意いたしました。
    入院中からの急な出産でしたから、予定よりも1ヶ月も早く育児休暇に入ることになり、会社のメンバーにも大きな迷惑をかけることになってしまいました。でも、周りの人たちは快く育児休暇取得を認めてくれました。本当に恵まれた職場環境だったと思います。

    1ヶ月間の育児休暇中、夜泣きでの1、2時間ごとの寝起き、おむつ交換、長男の幼稚園、それに家事と大忙しの1ヶ月間でした。(一番大変だったのは3食の料理かな。普段料理をしなかった分、苦労しました)大変な1ヶ月間でしたが、子供たちの成長を間近で見られ、また楽しくもある、本当に貴重な1ヶ月だったと思います。

    もし、次、3人目に恵まれることがあれば、またぜひ育児休暇を取得したいと思っています。

    育休を取得しようか悩んでおられる方、あるいはこれからお子さんが生まれる方、ぜひぜひ育休を取得されることをおすすめいたします。普段とは違う慣れないことをするので、大変なこともありますが、それ以上に得られるも、感じられるものも多くあると思います。お互いイクメンとして頑張っていきましょう!!

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