見る
育児体験談を『見る』
入力欄に検索したいキーワードを入れて下の検索ボタンを押して下さい。
また、年代やエリア、お子様の人数などを選んで検索することもできます。
全 685件中、241件目 ~ 250件目を表示 (25/69ページ)
転勤で関西に行っていたのですが、夫婦生活うまくいかず、当時1歳半の娘を自分の力で育てようと思いました。それはとても自然な事でした。会社に理由を話し、地元に戻り、仕事両立頑張っています!埼玉に戻り無事、保育園も決まり今年の4月から通っています!毎日保育園に持って行く物の準備先生との交換日記、保育園の保護者会役員にも選ばれました。そして娘の成長日記も書いています。それからお風呂も毎日入れて、勿論休みの日には二人でお出掛け、洋服選びやヘアゴム、オシャレするものは全て自分の目で見て買います。勿論同居の僕の親の協力があって成り立っていますが、極力は自分でやっています!

砂月
30代男性 子供1人
2歳の長男と1歳の長女を持つ父親です。職業はシステムエンジニア、妻は看護師をしています。
自分の仕事の忙しさから、ワークライフバランス関しては、否定的な考え方を持っていましたが、
育児については、積極的に参加しているつもりでした。
しかし、妻の復帰と同時に10カ月の長男が川崎病にかかり、自分が本当に「しているつもり」だったことを思い知りました。
それからは、考え方や行動が次第に変わっていきました。
妻は仕事をやめないと結婚前から言っていました。仕事と育児の両立は難しい、それを実現するには、私の協力が不可欠だったのです。気づけば妻に教育されていました(笑)
その後、長女が産まれ、妻の復帰と交代で私は2カ月の育児休暇を取得しました。
2カ月なのは保育園の入園との兼ね合いで決めましたが、もっと期間をとることお勧めします。
会社は大きいですが、長期の育児休暇を取得する前例はありませんでした。
リーダという立場にあり、取得に対して非常に悩みましたが、私の育児は今この時です。
男の育児休暇が当たり前になっているのを待つ訳にも行きませんので、後悔のないように取得を申し出ました。申し出にあたっては、先輩方に順番に説明して、理解を得てから、最終的に上司に申し出ました。
上司の世代の方には、理解しがたいところが多いので、回を重ねてじっくりキャリアに対する考え方なども含め話をしました。
会社の制度であり取得するのは権利ですが、多少なりとも影響を受けるであろう周りの人たちの理解は大変重要なことと思いそうしました。
というのも、育児休暇取得後は短勤務をすることも併せて申し出ました。
育児休暇は話題になり、それなりに理解も得やすいですが、
男の短勤務はまだまだ取得する人は少なく、理解が得にくいと考えたからです。もちろん前例はありません。
2か月の育児休暇中、仕事が忙しく封印していた料理やお菓子作りを再開しました。
特によかったのは、長男が手伝ってくれます。2歳ですが卵も割れるようになりました。
慣れるまでは、予防接種や歯科検診など、お母さんたちに囲まれ、目線がちょっと気になったりしていましたが、今は気になりません。
今月から復帰しました。
短勤務ですが、当然、名目上リーダは外れましたが、周りの人たちは、前と変わらず扱ってくれます。
裏を返すと仕事量は前と変わりません(笑)というか、プロジェクトを掛持ちになり、逆に増えたかもしれません。
時間が短くなった分、効率的に仕事をこなさなくてはなりませんが、仕事へのモチベーションは上がりました。
保育園の送り迎えや料理など仕事だけをしている時より、忙しい気もしますが、
毎週末、子どもと一緒に過ごすこともでき、ピクニックに出かけたりと充実しています。
年金問題や人口の減少などの諸問題を解決するために、
これからは女性が仕事を続けていくことが当たり前にならないといけません。
約30年をかけて女性が働くことが当たり前になったので、次の30年で男が変わり、育児をすることが当たり前になると思いたいですね。
後に続く人たちの見本となれるように、イメージを悪くしないよう、頑張りたいと思います。

廣瀬 隆之
20代男性 子供2人
ママが体調を崩してしまった事もあり、
クックで歩ける様になった息子と、2人で近所の公園へ。
少しはユックリ休めたかな? (^ー^)

HIDE
30代男性 子供1人
今、8歳の息子のエピソードです。
息子が3歳くらいの時に夜中、何時間も泣いていた事があり、
様子がおかしいので、大雨の中、夜中にベビーカーに息子を乗せて、
歩いてタクシー会社まで行き、タクシーに乗って病院へ行って
診察をしてもらったら、「耳に水が溜まっていますね。中耳炎です。」と言われ、
夜間診療の先生が、耳に溜まった水をスポイトで吸い取ると
痛みがなくなり、楽になったのか、息子は疲れて寝てしまいました。
診察が終わったのが明け方で、駅まで傘をさしながら、
1時間息子を乗せたベビーカーを押して歩いて、さすがに疲れたので
タクシーで帰った事があります。
今は、息子は元気になって、一緒にカポエイラを楽しくしています。
(カポエイラは、ブラジルの格闘技です。)

しょう
40代男性 子供3人
死別だぜ!!
立ち上がろう!

二郎
30代男性 子供3人
2009年1月~2011年6月まで他県で単身赴任をしていた。
下の女の子が産まれる直前の人事異動。
寂しさもさることながら、家族を守る意味でも単身赴任を決意した。
家族と過ごすためにお金ではなく、
時間が必要と気づき、鹿児島に戻る決断をする。
単身赴任生活時代、妻に家事育児は任せざるをえなかったが、
欠かさずやり続けたことは、月に1回の帰宅と
毎日の子供との20:00の電話。
今鹿児島で、子供といれる時間を貴重に感じて、
2年半単身赴任のブランクを埋めるために、
子供とひたすら遊びまくっています!
一緒に過ごせる時間というのは、
何にも変え難い幸せなんです。
それも、単身赴任をしたから知れたことだから、
ひとつひとつに意味があるんだなと噛み締めています。

サニーレタス
30代男性 子供2人
もうすぐ息子が2歳の誕生日を迎える。
日に日にできることが増えていく中で,喜んだり心配したり……。
最近は,妻もゆっくりとした時間を過ごさせたい思いから,2人でお出かけすることが多くなってきた。
その時,決まって出かけるのが,明石の魚の棚。
ちびちゃんお気に入りのたこちくわがあるのだ。
焼きたてで,香ばしく,おいしい。
歯ごたえもしっかりあるので,小さく切って,ぱくっ!
先日は,研修仲間の先輩方と明石焼のお店へ。
軽い卵アレルギーがあるので,たくさんは食べられないが,
1個をぺろり。
その後,姫路城へ。
2人でお話ししながら歩く,至福の時。
普段は,仕事でゆっくりとした時間が取れないけれど,
こうした時間を大切にしたい。
休みの日の方が疲れるけれど,いつかこの思い出の日々を
話題のネタにして,語り合いたい。

せきちゃん
40代男性 子供1人
とりあえず登録にあたって体験談を一つ投稿してみます。
うちは共働きです。
妻の休日が日曜・祭日で、私の休日が水曜日なんです。
それで子供の予防接種は私がほとんど連れて行きました。
病院では、他のママさんや受付の方、看護師さんなど皆さん
やさしく対応していただきました。
子供もさほど泣きもせず、今では子供と二人だけで過ごすのも
へっちゃらです。

ミヤックス
40代男性 子供2人
2011年5月から約1年間取得した育児休職も今日で終わり。
本当に充実した1年だった。
がっつり育児に専念できたのはもちろんのこと、苦手な料理でもできるようになった。
育休期間をブラッシュアップ期間と捉え、沢山のセミナー参加し、自分のスキルアップにつなげた。
インプットなくして、アウトプットなし。育休期間に得た知識を、明日からの仕事に活かしていきたい。
沢山のパパ友をつくることができた。
息子のおかげで、地域へのプレミアムチケットをゲットし、アナザーワールドに誘ってもらった。
これまで、人脈もコネもない私が、小さいながらも育休について考える自主イベントを開催できるようになった。
そして、一番の収穫は、息子と1年間ずっと一緒にいれたこと。
日々の成長を毎日間近で感じることができ、本当に幸せな期間でだった。
息子のとびっきりの笑顔が何よりもご褒美。
育休をとるにあたり、10年間の準備期間があった。
人生をかけて取得した育休だけあり、実りの多いものとなった。
大変な事もあったが、楽しい毎日だった。
この育休を通じて、いろいろ学ぶことができ、人脈も増え、人間的にも成長した気がする。
MBAの一番の価値は、人脈を得ることだと聞いたことがある。
今回の育休は、自分としては、MBA取得と同じくらい、いや、それ以上の価値があるのではないかと思う。
『男性の育児休業が当たり前、男性も育児することが当たり前』。
そんな世の中になるように、これから頑張って行きたいと思う。
まずは、『男性の育児休職』がひとつの選択肢になって欲しい。
明日から新たな生活のスタート。
仕事と育児との両立をめざし、ワーキングファーザーとして、頑張っていきたい。
貴重な経験をさせてくれた、会社の仲間、息子、奥さんに改めて感謝したい。

橘 信吾
30代男性 子供1人
現在、高校2年生の長女、中学2年生の次女、4歳の長男の3人の子を持つ、かれこれ17年のイクメン歴の「父ちゃん」です。私のイクメン歴は、妻が長女を妊娠した17年前から始まりました。まずは、たばこを家では絶対吸わず(今はやめました)、妊婦健診には毎回付き添い子どもを持つ実感を分かち合いました。当然、3人とも立ち会い出産です。長女が生まれてからは、残念ながら授乳はできませんでしたが(笑い)、授乳後のゲップ、おむつがえ、何でもこなしました。さらに次女が生まれると自身が病気のため仕事を辞めなければならず、図らずも専業主夫になりました。それからは、長女の幼稚園の送迎、次女の昼間の育児一切をこなしました。もちろん、幼稚園の行事には、妻以上に参加しました。長女が小学校へ入学、次女が幼稚園に入園すると2人の送迎、小学校の授業参観、幼稚園の行事は、妻に休みを取ってもらいできるだけ、夫婦で参加するようにしました。子ども2人がお世話になった幼稚園では、PTA会長もかってでました。40歳を過ぎてから授かった長男の保育園への送迎も私が中心に行っています。ですから、妻より私の知名度は断然高く、どこへ行ってもママから声をかけられます。また、次女が小学校入学時に体調もだいぶ良くなったので、仕事をすることになりました。でも、子どもの通う小学校は家から遠く、バスも朝だけしかないので、帰りは迎えに行かなければなりません。そこで、娘の迎えに行けるように時間の融通がきく仕事を選びました。私は妻の家に婿に入ったのですが、仕事を始めたころ、義父が認知症のため介護が必要になりました。体の弱い義母に代わり、病院への付き添い、義父の介護も中心となって行いました。義父の介護が自宅ではできなくなったときは、施設選びや入所手続き、面会を仕事と育児の合間に行ったためとても忙しかったことは、義父が亡くなった今となっては良い思い出です。

ともやす
40代男性 子供3人
